2023年6月11日(日)
知多のぞみキリスト教会 主日礼拝
メッセージ 「一つにしてくださった。」要約
(使徒の働き 2:42~47)
東 賢作 牧師
去年行われた夏の全国高校野球にて仙台育英高校が東北勢で初めて優勝しました。その時、 須江航監督が 「青春ってすごく密なので」という言葉を語り、反響を呼びましたがこの言葉は「キリストのからだ」とされた私達教会にも当てはまるのではないでしょうか? 分断社会と呼ばれる現代にあって私達が主によって一つとされている意味を共に受け取りましょう。
1. 初代教会の姿—①みことば ②交わり ③礼拝 ④折り。
3000人がバプテスマを受けました。初代エルサレム教会は、家々に集まり、共に主のみことばを聞き、交わり、聖餐に与りつつ主を礼拝し、祈り続けていました。まずキリストが私達と「親密」になろうとして私達と同じ人となって来て下さいました。そのキリストのからだとされた私達教会も実は「すごく密」なのです。
2. 教会は喜びも悲しみも 「共有する」神の家族
初代エルサレム教会は皆一つになって、一切の物をそれぞれ自分のものと言わずに共有していました。それは個人が所有するのを認めない新しい律法主義的制度ではなく、皆が喜びから自発的にしたことであり、彼らがそれまで執着してきたものから解放されたことの一つの証でもありました。現代の教会である私達も「右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。」(マタイ 6:4b 聖書 新改訳 2017©2017 新日本聖書刊行会)との主のみことばを心に留めつつ互いに支え合っていますが、すべてを共有した初代エルサレム教会の姿から何を学ぶのか、共に主のみこころを聞き続けたいと願います。
3.主によって一つとされた教会は好意を持たれた。
共にみことばを聞き、交わり、聖餐に与り、折り続けていた教会は民全体から好意を持たれていました。主イエスが語ったように「互いの間に愛があること」こそが、何よりもの主の愛の証となっているのです。
結論:イエスの十字架が私達の魂の止まり木となり、イエスが私達ひとりひとりを招いて一つにして下さいました。私達は自分一人では課題を神にもっていくことができず、押し潰されてしまいます。しかし、だからこそ教会家族が与えられ、喜びも悲しみも共有して、共に神にもっていくことができるのです。
聖書 新改訳2017©️新日本聖書刊行会