2024年4月14日

知多のぞみキリスト教会 主日礼拝 

子どもの話 「ばんぐんの主のみなによって」

サムエル記 第一 17:45

ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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4/14礼拝メッセージ要約
「幸いだ。義のために迫害されている者は」
マタイ5:1-12
イエスが語った8福シリーズの最後です。
「何と幸いか!義のため(イエスのため)に迫害されている者(追われている者)は。」イエスのみことばに耳を傾けましょう。

1.イエスを信じて罪から教われた者は苦難も受ける。
日本のクリスチャン人口は約1%と言われています。その日本において私達はキリストを信じるゆえに生活のいろんな場面で葛様を覚えることがあるのではないでしょうか?救いの初穂として家族の中で自分ひとりだけがクリスチャンである場合も、クリスチャンホームに生まれ育った場合もそれぞれ違う悩みの中で祈りながら生活されていることでしょう。使徒パウロはこう書きました。「あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。」(ピリピ 1:29)
キリストは私達の罪を負って苦難を通って死に、栄光のからだでよみがえらされて生きておられます。そのキリストに信仰によって結ばれたならば私達もキリストの受けた苦難を共有することになると言うのです。しかし逆に言えば、信仰のゆえに苦難を通っているならそれはキリストの方に向けられているという証拠でもあるのです。

2.私達の格闘は血肉(人)に対するものではない。
便徒パウロは私達の格闘は血肉(人)に対するものではなく見えない悪霊に対するものだと言いました。(エペソ6:12)
私達が目の前の人を憎んで攻撃するように仕向けるのが悪魔の策略です。それを心に留めながら、もし不当な扱いを受けた時にはイエスのようにきちんと対話をし(ヨハネ18:23)、最後は正しくさばかれる神に自分をゆだねることができるのです。

3.跳んで喜びなさい。天において報いは大きいから。
イエスは、義のために迫害されている者には天において報いが大きいのだから跳んで喜びなさいと言いました。日本のキリシタン達もこのイエスのみことばを根拠に迫害の中で主を賛美しながら殉教していったのです。

結論:しかし殉教は私達の決心や意思によってできることではありません。ペテロも3度踏み絵を踏んだのです。しかしイエスは「あなたの信仰がなくならないように」祈ったと言って、彼を立ち直らせて下さいました。その同じ主イエスが私達を何度でも立ち直らせて、信仰生涯を全うさせて下さるのです。
(聖書引用 聖書新改訳 2017©️2017新日本聖書刊行会)







  

教会は人の集まるところ

じつは、『教会』という言葉はもともと【人の集まり】を指す言葉で、

建物のことではありません。

いろいろな所から人々は、礼拝に集います。

聖書を読み、歌い、お祈りをしたり、クリスマスを祝ったりします。

共に食事をしたり、ゲームで楽しんだりします。音楽コンサートや誕生会が行われることもあります。

 *【教会】という言葉はエクレシアというギリシャ語を翻訳したもので、本来は【召された者】という意味があり、【キリストを信じる人の集まり】を指す言葉です



教会はイエス・キリストに出会うところ

教会は強引な宗教勧誘をしたり、まして人を洗脳したりすることはありません。人の悪い行いを叱りつけたり、善行を強要するようなところでもありません。お金を強要したり、物を売りつけたりするようなこともありません。

ただ私達はここへ訪れた皆さまが、

人々とのふれあいの中で、聖書や礼拝のなかで

イエス・キリストに出会うことを、心より願っています。

 

教会にくる”きっかけ”も”理由”もひとそれぞれ

教会にはキリスト教を信じる人だけがきているわけではありません。

 

 

暇を持て余した子供たちが遊びに来たり、
ご近所にの方が話をするために立ちよったり、野菜や果物などを分けて下さったり、

学生が悩み相談に訪れたり、なんとなく興味があって覗いてみたり、

トイレを借りにきたという方もお見えになります。

 

いつも来るひと、たまに来るひと、はじめて来るひと。

そんないろんな顔ぶれのひとびとが集まり、

知多のぞみ教会はいつもにぎやかです。

 

通りがかって気になっている方、

建物の中をちょっと覗いてみたい方

どうぞお気軽にお越しください。

教会はすべての人のためにひらかれているところ

なぜなら、イエス・キリストがすべての方を歓迎しているからです。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』聖書(マタイの福音書11章28節)

どうぞ、礼拝へお越し下さい。

 

 

教会はあなたの悩みに寄り添います

あなたのご質問やお悩みを当教会牧師がうかがい、聖書に書いてあることを基に、お答えさせていただきます。もちろん、相談料などは一切不要です。

■人生の意義や、存在理由について…

「なんで生きているのかわからない」「自分が無価値に思える」

「死んだ後、どうなるのか知りたい」 

■聖書、キリスト教、教会について…

「聖書の読み方を教えてほしい」「○○についてキリスト教は何といっているか?」

■宗教トラブルなどのご相談

「友人がカルト宗教にはまってしまい困っている」

その他、人間関係やお仕事等の悩み相談など、なんでもお伺いいたします。